かたちんしなければならない

ここにはブログの説明が入ります。ここにはブログの説明が入ります。ここにはブログの説明が入ります。

30歳の0は円形脱毛の円なのか も

30歳になった。

まさか、自分が30歳になる日が来ようとは思いもしなかった?いやべつに死ぬとかもっと考えていなかったけど、え、30歳?いやいやえ、と実感がわかない。

しかしなにかしら心的ななにかを動かすなにかしらパワーがなんか生じたらしく、はてなブログを書いている。

え、30歳になったけどえ、ブログ書くてえ、なんかちょっとそっちの方がどちらかといえば自分的には意外かも、まずは自分が30歳になった意外性をもっと嚙みしめようよなに違う味足してんだよと戸惑うけど、まだ書いているということはそういうことで、これを読んでいるあなたはぼくがこれを投稿したことも知っているってことで、投稿するところまでいけるかないけないかなと思いながらいまここでこれを書いているぼくよりもあなたの方が情報量的にはリードしている。負けてはいられない。思いついたままに書いているが、少し立ち止まり、この後の構成を考えて見ることで、いまそこでこの文章を読んでいるあなたよりもぼくは情報量というか、ちょっとべつ軸の部分も合わせた総量として優位に立てるかも、と思ったけれど、べつ軸とか情報量とか風呂敷広げたところで、その風呂敷は無限にバサバサ広がりそうだし、広げた自分から近い部分が重要かといえばそうでもなく、どの箇所も皆ただの風呂敷であり、そこに何の優位性もなく、すべて等しく価値はない。価値がないところに優勢も劣勢もなく、たとえあったところで、だれにとっても心底どちらでもいい。この自分でさえもまじで無感動で無関心。真顔。

では、30歳になったこの気持ちは何なんだろう。なにがぼくを動かしているのだろう。まじで謎だし興味はないんだけどやっぱりなにかパワーがあるらしく、フリック入力が止まる気配はない。

いまぼくはwebディレクターで飯を食っていて、抱えた案件ほぼ全部炎上中でえ、こんなことある?休み中も仕事で頭いっぱいで常になんかお腹痛いんだけど?で30歳。

いや、だから純粋に30歳の味噛みしめたいから、余分な文脈足さないで、と思うけど、これこそぼくという大きめかつ小さめな文脈として処理すべきなんだろう。

不可分な流れに身を任せ、のらりくらりと丁寧にダメージを受け続け、円形脱毛とかになってない?胃潰瘍とか大丈夫?血尿とか出ないかな?って自分にかかるストレスに気を配りながらもいたって健康で、ただただ謎の衝動30歳で今。

 

くっそ〜、衝動っていうのは等しく謎で、個々人に帰属して、説明を免除されていて、具体的な行動力がセットで備え付けられて、それでいてそれなのになぜか、ざっくりと、ざっくりとだけ他人と共有可能なところが余計にもどかしい。

うお〜